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ポルトガルで日本人とポルトガル人が生み出すドラマティックなチョコレート「Feitoria do Cacao」(フェイトリア・ド・カカオ)物語 part1 連載「チョコと人と、物語と。」vol.11

ポルトガルで日本人とポルトガル人が生み出すドラマティックなチョコレート「Feitoria do Cacao」(フェイトリア・ド・カカオ)物語 part1 連載「チョコと人と、物語と。」vol.11

チョコレートの持つ「美味しさ」だけではなく、「人」にスポットをあてた連載「チョコと人と、物語と。」。今回の連載の舞台は、海を超えてヨーロッパを舞台に物語が始まります。

 皆さん、ポルトガルに行ったことはありますか? ポルトガルは欧州南西のイベリア半島にある国です。人口1000万人ほどの小さな国で、ヨーロッパ旅行で定番のイギリスやフランス、イタリア、スペインに比べ、訪れる方は少ないかもしれませんが、かつて種子島に漂着したポルトガル人商人が日本に鉄砲を伝え、また16世紀に日本と南蛮貿易を行っていた歴史からも、日本とは少なくない縁を持った国です。

そんなポルトガルの、大西洋に面した中央部の町アヴェイロで、日本人とポルトガル人の女性二人組がチョコレート作りを行っていると知ったのは、2016年1月のこと。それから6年半が経ち、念願叶って工房に伺うことができました。今回はポルトガルでFeitoria do Cacaoを営む菅 知子さんと、スザーナ・タヴァーレスさんにインタビューし二人がつむぐチョコレートの物語をpart1.part2の前編・後編でお届けしていきます。

~始まり~ ポルトガルのチョコレートとの奇跡的な出会い

ポルトガルで日本人とポルトガル人が生み出すドラマティックなチョコレート「Feitoria do Cacao」(フェイトリア・ド・カカオ)物語 part1 連載「チョコと人と、物語と。」vol.11

ue_mon:お聞きしたいことがたくさんあるのですが、まず「Feitoria do Cacao」をオープンさせたのはいつになるのでしょうか?

知子さん:2015年の12月です。会社の設立はもう少し前の5月だったと思いますが、会社を立ち上げてから試作や製造等の準備期間があったので、お店自体は12月にオープンしています。実は今、日本に「Feitoria do Cacao」を輸入して下さっている「株式会社Cozy Plus Incorporate」の社長 阪倉さんとは「Feitoria do Cacao」を立ち上げる以前からのお付き合いで、Cozy Plus Incorporateはポルトガルの雑貨を輸入・販売する会社なんですが、ポルトガルでの通訳や、コーディネーターとしての仕事を私が請け負っていました。

それで、丁度チョコレートを作り始めようかなと思っていた矢先、阪倉さんにお会いする機会があったので、「実はチョコレートを作る事業を始めようと思っていて・・・」と打ち明けて、その当時サンプルで作ったチョコレートをお渡ししたら、とても美味しいと言って下さって、それで「ぜひ、うちで扱わせてください!」って、最初のオーダーが入ったんです。まだ工房も何も無いときでしたけど(笑)これは後に引けないなと思いました。

ue_mon:早速そんな面白いストーリーが(笑)。僕はその後、一番最初に輸入された「Feitoria do Cacao」のチョコレートを手にしたということですね!「Feitoria do Cacao」の話を進める前に、そもそも知子さんがポルトガルに住むきっかけはなんだったのでしょうか?

知子さん:私がポルトガルに来たのは2000年だったんですけど、ポルトガルの食文化と、ポルトガルの伝統音楽『ファド』を1年間かけて勉強するはずが、あまりに居心地が良くて、結局ここに留まることにしたんです!

ue_mon:僕も今回初めてポルトガルに来ましたが、食文化は本当に興味深いですね。納得です! それでスザーナさんとはいつ知り合われたのですか?

ポルトガルで日本人とポルトガル人が生み出すドラマティックなチョコレート「Feitoria do Cacao」(フェイトリア・ド・カカオ)物語 part1 連載「チョコと人と、物語と。」vol.11

知子さん:はい! その後、私はポルトガル北部のラメーゴと言う田舎町で、イタリア人男性と出会って結婚して、6年ほど住んでいた時期があったんですけど、その当時はとにかく通訳やコーディネーター等、できることはなんでもやって、どうにか生活をしているという状態でした。それからこのアヴェイロには15年ほど前に引っ越してきて、それでイタリア人の元夫とは離婚しました。

丁度離婚するか、しないかぐらいのタイミングで、住んでいたところの目の前にカフェがあって、私はよくコーヒーを飲みに行っていたんですが、そこに毎日のように通っていたのがスザーナでした。話していくうちに仲良くなって、家に呼んでランチをしたりしていました。それから元夫とは完全に離婚が成立して、新しい住居を探さなくてはならなくなり、それでスザーナと一緒に住むことにしたんです。

ue_mon:すごくドラマがありますね! それでは次に「Feitoria do Cacao」を始めた経緯を教えて頂けますか?

ドラマティカルなチョコレート物語

ポルトガルで日本人とポルトガル人が生み出すドラマティックなチョコレート「Feitoria do Cacao」(フェイトリア・ド・カカオ)物語 part1 連載「チョコと人と、物語と。」vol.11

知子さん:これも長い話になりますが・・・(笑)。私が離婚して、スザーナと一緒に生活し始めた頃、突然スザーナが失業してしまったんです。それまではポルトガルでも広く展開している、イギリス系の大手通信会社で内部監査をする部署に勤めていて、全国にある店舗を回って、不正が無いかをチェックしたり、不正があった場合に関係者からヒヤリングして、処分決める仕事を12年ほどやっていました。

それが2013年に社内のドロドロとした人間関係のしがらみに巻き込まれてしまって、これ以上会社にいれないという状況になって、退職することになりました。スザーナはその仕事を若いころからずっと続けてきたので、他にやりたい仕事がパッと思い浮かばなくて。それで二人で、どんな仕事が良いかなって話し合っていた時に、スザーナは手先が器用で、凄く几帳面な性格なので、料理よりもお菓子作りの方が得意だし、そう言えば以前、スザーナが「チョコレートを作る夢を見た」って言っていたのを思い出して、「ショコラティエになるのはどうかな?」って提案してみました。

ue_mon:まさか、それでチョコレート作りの世界へ!?

知子さん:はい、まだ先は長いですが(笑)。最初はスザーナもあまり乗り気ではありませんでしたが、私もこれまで色んな仕事をしてきた経験があったので、「一から新しいことを始めるのに、遅すぎることはないよ!」と励まして。

それからショコラティエの学校を探したんですが、実はポルトガルにはちゃんとしたショコラティエの技術を学ぶ学校がなくて、それでカナダにあるエコール ショコラと言う学校のショコラティエの通信教育に申し込むことにしました。それが2014年の4月のことで、実際に授業が始まるのが8月からだったので、自分たちでもチョコレートについて色々調べていたんですが、そしたら大西洋に浮かぶ旧ポルトガル領のサントメ・プリンシペ(主にサントメ島とプリンシペ島からなる島国)で、カカオが採れて、チョコレートも作っているらしいと言うことが分かって、しかもポルトガル語が公用語で言語も通じるし、7月に飛行機のチケットを取って、サントメ島に一週間行くことにしました。

当時、私は通訳とコーディネーターの仕事を続けていたので、仕事を辞める気は更々無かったんですが、スザーナを応援しようということで、一緒について行くことにしたんです。

ポルトガルで日本人とポルトガル人が生み出すドラマティックなチョコレート「Feitoria do Cacao」(フェイトリア・ド・カカオ)物語 part1 連載「チョコと人と、物語と。」vol.11

ue_mon:サントメ・プリンシペ! チョコレート好きなら一度は聞いたことのある国ですね!

植民地としての過去があるサントメ島。そこで知る現実と貧困

知子さん:サントメ島はすごく小さい島で、元々は無人島だったこの島をポルトガル人が発見して、アンゴラ(アフリカ南西部にある旧ポルトガル領の国)やカーボベルデ(大西洋に浮かぶ旧ポルトガル領の島国)から奴隷を連れてきて、カカオやコーヒーのプランテーションを作らせた歴史があって、今は当時の大きい農園は殆どが耕作放棄地になっているんですが、当時は農園の近くに住居や病院、学校、幼稚園等の地域コニュニティーがあって、そこで生活しながら仕事をするような環境ができていました。

そして、1974年のカーネーション革命によってポルトガルの撤退が決まり、1975年7月12日に正式に独立して、『サントメ・プリンシペ民主共和国』が誕生したんですが、その当時住んでいたポルトガル人も独立と同時に引き上げることになり、殆どがポルトガルに帰国してしまったです。でも、当時サントメ・プリンシペの様々な産業の実権を握っていたポルトガル人が手を引いたことで、社会が大混乱を引き起こしてしまったんですね。

ue_mon:そんな歴史があったんですね。

知子さん:元はポルトガルの植民地として支配されてきた経緯があるので、当時サントメ・プリンシペの人たちは、産業をコントロールするポルトガル人の下で、労働者として働いていることが殆どで、経済的に困窮していて、自分たちで自立する術を持たぬままポルトガル人が離れて行ってしまったことで、現在も世界最貧国の一つに数えられるほど、厳しい経済状況が続いています。でも、これまでの歴史で紛争等が一度も無かった場所なので、人々はとても優しくて、シャイな性格の人は多いですけど、穏やかで柔和で・・・行く先々で本当に良くしてくれました。

ue_mon:カカオやコーヒー、サトウキビなんかもそうですが、それらの歴史はヨーロッパと奴隷制度、そして植民地支配の歴史なので、本当に辛いものがありますね。

知子さん:そうですね。それでカカオプランテーションもいくつか見させて頂いて、カカオのことや収穫のこと、発酵のこと等も教えてくれて。それでいくつか回る中で一番印象に残っているのが、ディオゴ・バーシュと言う農園に行ったときのことで、かつてこの農園は、日本でも知られる国際的な某高級チョコレートブランドの契約農園だったんですが、撤退したことで廃れてしまったんです。

それで、ここに訪問した際に女性の方が多くて、また小さい子供を抱えたお母さんも多かったんですね。男性たちは農園で収穫作業を行って、女性たちは施設の管理・運営等を任されていたんだと思いますが、「本当に生活が苦しくて、助けてくれないか」と言われて、もちろん農園の見学や説明もして頂いたので、見学料としていくらかお支払いして、カカオ豆も購入させて頂いたんですが、それでそこの人たちが根本的に救われるわけではないし、話を伺っていても「月に20€しか稼げない」と言われて絶句しました。

ポルトガルで日本人とポルトガル人が生み出すドラマティックなチョコレート「Feitoria do Cacao」(フェイトリア・ド・カカオ)物語 part1 連載「チョコと人と、物語と。」vol.11

ue_mon:20€ですか!? それは凄く厳しい状況ですね。

知子さん:サントメ島は本当に地場産業が少なくて、製造業はビール工場くらいしか無い上に、様々なものを輸入に頼っているので、実はポルトガルよりも物価が高いんですね。それなのに稼げないから本当に何も買えない。フルーツはそこら中にたくさん生っているので、飢えて死ぬと言うことは無いし、常夏なので凍え死ぬことも無いんですが、それでもどうにか生きていると言う状況で。

そこでスザーナが、「サントメ島にはこんなに良いカカオ豆もあるし、サトウキビ栽培もしてるから、自分たちでチョコレートを作って売れば、今より稼げるんじゃない?」と聞いたら、「もちろん、できることならそうしたいけど、でも、私たちはチョコレートの作り方を知らない」と言われてしまって。当然貧しいからパソコンや携帯電話は持ってないし、それ以前にインターネットも繋がらなければ、郵便も届かない。そんな環境で自分たちで調べる方法もない。

スザーナはポルトガル人として、『かつて支配下に置いていた人たちに対して、自立する術を何も残してやらなかったこと』に、凄く羞恥心を覚えたみたいで、かなりショックを受けていました。

ue_mon:その当事者で無ければ理解し得ない感情ですが、これは察するにかなりの衝撃だったと思います。

“今、自分たちにできることとは?”問いかけから始まるビーントゥバーチョコレートづくり

ポルトガルで日本人とポルトガル人が生み出すドラマティックなチョコレート「Feitoria do Cacao」(フェイトリア・ド・カカオ)物語 part1 連載「チョコと人と、物語と。」vol.11

知子さん:それからポルトガルに帰ったんですが、私たちはお金も無ければ、あの状況を打破する力もない。かと言って、見なかったことにして、「ああ、そうですか」と流すこともできない。でもその時にはもう、これまで考えていた、『ただ業務用チョコレートを買ってきて、ボンボンショコラを作って、お金を儲けよう』と言う気持ちにはなれ無かったんですね。

じゃあ、私たちがやるべきことは何だろうって考えたときに、私たちはサントメ島の人たちと違って、インターネットが繋がって、自分たちで調べることができるし、学校で学ぶ環境もあると思って。当時Bean to Barムーブメントが世界中に広がっていた最中で、比較的シンプルな工程で、カカオ豆からチョコレートが作れると言うこともすぐに分かりました。それで、当初はサントメ島にチョコレート工房を作ることも考えたんですが、さすがに色んな面でハードルが高かったので、まずエコール ショコラの通信教育が終わったら、自分たちが住むポルトガルでチョコレート作りを始めようと決めました。

ue_mon:日本もポルトガルも、ただ暮らしているだけでは、カカオ生産国の取り巻く様々な現状を知ることは難しいですね。僕も以前、ブラジルのアマゾンに行ったときに、色んなことを目の当たりにして凄く衝撃を受けました。

知子さん:もしその時にサントメ島に行ってなければ、今頃ボンボンショコラを作ってたかもしれませんね。それでありがたいことに、エコール ショコラには、Bean to Barの講座もあって、ショコラティエの講座と並行してBean to Barの講座も受けることにしました。

講座は座学だけじゃなく実技も学べるし、本当にたくさんの教材や資料が送られてきて、とても充実していました。それで2014年暮れに両方の講座が終わって、実際にチョコレートを作ってみようと言うことになって、その当時一番小さい容量だった4kgのメランジャーと、家庭用のコーヒーロースターを買って作ってみたら、たまたま美味しくできてしまって、そこからは本当に色んなことが早く進みました。

ue_mon:長いドラマの末に遂にチョコレート作りを始めるんですね!

今回はここまで。人と人とが巡り合って始まる物語。多くの人のパッションが世の中を動かしています。二人の熱い情熱から、いよいよチョコレート作りがスタート。次回は、そんな二人のチョコレート作りから今に至るまでをお届けしていきます。

ue_monさん

ue_mon

通りすがりのただのチョコ好き

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Instagram ue_monにて、お酒や料理、チョコレートの情報を発信中。チョコのテイスティングの感想も上げながら、チョコレートの魅力や楽しみ方も投稿。この連載では、チョコレートの作り手、ブランドを担う人々の姿や想いを執筆してくれます。

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Feitoria do Cacao
https://cozyplus-inc.com/tag/portugal/
今期のFeitoria do Cacaoは10月末〜11月上旬入荷予定
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