ufu(ウフ)スイーツがないと始まらない。
出雲「La chocolaterie NANAIRO」。日本の美しい原風景と、四季に寄り添うチョコレートが生まれた話(前編) 連載「チョコと人と、物語と」vol.08

出雲「La chocolaterie NANAIRO」。日本の美しい原風景と、四季に寄り添うチョコレートが生まれた話(前編) 連載「チョコと人と、物語と」vol.08

出雲「La chocolaterie NANAIRO」。日本の美しい原風景と、四季に寄り添うチョコレートが生まれた話(前編) 連載「チョコと人と、物語と」vol.08

チョコレートの持つ「美味しさ」だけではなく、「人」にスポットをあてた連載も、もう8回。今回舞台となるのは、日本海に面した島根県。多くの人がイメージをする出雲大社がある、出雲で生まれた情熱あふれるショコラトリーが今回の取材先。2015年からオンラインでの販売を開始、2018年に「STORE & CAFÉ」をOPEN.バレンタイン時期の催事等でも、その名前を聞いたチョコレートファンも多かったのではないでしょうか?

書き手であるue_monさんによる熱い想いあふれるインタビューを今回は、前編と後編にてお届けしていきます。

四季の喜び、儚さがつまった“日本らしさ”を感じるチョコレートの誕生秘話

出雲「La chocolaterie NANAIRO」。日本の美しい原風景と、四季に寄り添うチョコレートが生まれた話(前編) 連載「チョコと人と、物語と」vol.08

ue_mom「いきなりですが『日本らしさ』って一体何でしょうか? 海外から見た日本らしさと、日本人自らが思う日本らしさ、はたまた日本人の中でもイメージするものは様々だと思いますが、僕は四季折々の旬の食材を楽しみ、花や植物を慈しみ、またそれらに寄り添う文化が『日本らしさ』だと思っています。

そんな日本の四季の喜びや儚さをチョコレートに吹き込んでいるのが、島根県出雲市にアトリエ兼店舗を構える「La chocolaterie NANAIRO」です。それは一体どういうことなのか? 今回は「La chocolaterie NANAIRO」で代表を務める西森 亜矢さんにインタビューをしたいと思います。」

出雲「La chocolaterie NANAIRO」。日本の美しい原風景と、四季に寄り添うチョコレートが生まれた話(前編) 連載「チョコと人と、物語と」vol.08

ue_mon「早速ですがNANAIROをオープンさせたきっかけを教えていただけますか?

西森さん「2010年頃だったと思いますが、お土産で頂いた『MAST Brothers』(アメリカでBean to Barムーブメントの火付け役となったニューヨーク発のクラフトチョコレートメーカー)のチョコレートを初めて食べて、その時頂いたのがパプアニューギニアのカカオ豆を使ったもの。その個性的な味わいにびっくりしたということがあって。それからその当時、私が神戸のフェアトレードマーケットに良く通っていて、そこで丁度パプアニューギニア産のカカオ豆が販売されていたので、実際に購入してみたんです。

でも、買ったは良いけれど、チョコレートの作り方は知らないし……。そこでYouTubeで探してみたら、海外の動画でチョコレートの作り方を紹介しているものがあって、それを見ながらフードプロセッサーでカカオを砕き、ホームメイドでチョコレートを作ったと言うのが始まりになると思います。」

ue_mon「Bean to Barは当時日本では聞き馴染みはありませんでしたが、アメリカではブームの兆しが出てた頃ですしね。でも、NANAIROって元々チョコレートとは全く別の事業をしている会社ですよね?」

出雲「La chocolaterie NANAIRO」。日本の美しい原風景と、四季に寄り添うチョコレートが生まれた話(前編) 連載「チョコと人と、物語と」vol.08
写真中央は西森さん

西森さん「はい! 株式会社ナナイロは本社が大阪にある会社ですが、映像制作やWebデザイン、ネット広告なども手がけています。今は競馬場に流れている動画や、プロ野球の球団動画を作ったりしていますね。」

ue_mon「そんな仕事をされてる会社なんですね! 西森さんはその当時はどの様な仕事をされていたんですか?」

西森さん「私は元々総務や経理の仕事をする傍ら、書家だったので題字を書く仕事もしていました。」

ue_mon「書家だったんですか!? それはびっくりです! でも、題字を書くってどんなお仕事なんですか?」

西森さん「普段デザインをする上では既存のフォントを使っていますが、部分的に手書きの文字の方が良いなというところでは、書家が手書きした文字を差し込んだりしているんです。その文字を書いていました!」

ue_mon「へぇー! 聞けば聞くほどチョコレートから話が遠ざかっていきますね(笑)でも、チョコレート作りは西森さんの趣味だったわけですよね? それがなぜ会社の事業としてやることになったんでしょうか?」

趣味のチョコレートづくりが、島根という地で花開いた理由

出雲「La chocolaterie NANAIRO」。日本の美しい原風景と、四季に寄り添うチョコレートが生まれた話(前編) 連載「チョコと人と、物語と」vol.08

西森さん「元々、その時に自然の豊かな地方に支社を作る計画が出ていて、私はその支社を作る担当を任されていました。そこで大阪からそう遠くない場所で色々と探した結果、鳥取でほぼ決定していたんですが、元々決まっていた場所は豪雪地帯で冬は通うのが大変なんじゃないないかという懸念があって。

そんな折、たまたま島根に遊びに行って民泊したときに、そこのご夫婦から『良い土地を知ってるから紹介するよ!』と言われて、見に行ったのが今の出雲にある場所でした。それから実際にオフィスを作ったんですが、当時は今ほどオンラインやリモートでの業務が普及していなかったこともあり、本社とのやり取りが上手くいかないことも多くて。また、本社と同じ業務をやっているのでは田舎にオフィスを作った意味がないなと感じていました。そこで、新しいモノ作りの事業をやろうとなり、色々とアイデアを出し合うことにしたんです。」

ue_mon「そんな経緯があったんですね!」

西森さん「それから野菜の栽培とかもやったんですが、それはあまり上手くいかなくて、他に何かないかなと悩んでいたときに、私が趣味でやっていたチョコレート作りが話題に挙がったんです。私自身も趣味でチョコレートを作る中で、フードプロセッサーでは口溶けに限界があるなと感じていて、口溶けをより良くするために業務用のメランジャー(カカオ豆を石製のローラーですり潰し、練り上げて粒子を細かくする機械)が必要だということは分かっていたけど、個人で買えるような値段でもないし…と思っていたので、チョコレート作りを深堀するには事業化は願ってもないチャンスですし、一度ちゃんと会社を説得してみても良いかなと考えていました。

当時は趣味で作って知り合いに配る程度しかやってませんでしたが、『どこで買えるの?』って言って下さる方もいて、また社員の間でも評判が良かったのもあって、何度か会社と交渉した結果、チョコレート作りを事業としてやってみようとなったんです!」

ue_mon「西森さんの熱量があったからこそ採用されたんですね!でも、それが2012年の話ですよね? 実際に商品を販売し始めたのが2015年だったと思うのですが、それまでずっと準備期間だったんですか?」

西森さん「そうなんです! 機材を購入したのが2012年で、本当は2013年からチョコレートの販売を開始しようと考えていたのですが、“ある問題”が出てきて…。」

ue_mon「“ある問題”ですか?」

チョコレートが持つ“難しさ”。初めてぶつかる壁と厳しい言葉が突きつける現実

出雲「La chocolaterie NANAIRO」。日本の美しい原風景と、四季に寄り添うチョコレートが生まれた話(前編) 連載「チョコと人と、物語と」vol.08
写真中央は佐藤 清隆先生

西森さん「はい。同じレシピで作ってるはずなのに、同じ味のチョコレートができなかったんですよ!」

ue_mon「なるほど(笑)それは大問題ですよね!」

西森さん「何度やってもチョコレートの味が一定にならないので、その原因を調べるために図書館でチョコレートに関する著書を読み漁っていたのですが、その中で広島大学の名誉教授で工学博士でもある佐藤 清隆先生(食品物理学を専門にし、特に食品油脂の分野で民間企業と共同研究を行い、チョコレートの基礎・応用の両方の研究で世界を牽引してきた第一人者)の本をいくつか読んで、チョコレートの製造についてすごく詳しく書かれていたので、実際に会ってお話ししてみたいと思い、どうにか連絡先を調べて会うことにしました。」

ue_mon「僕も佐藤先生の著書は何度も読ませて頂きました。チョコレートの基礎的なことから、カカオの歴史についても書かれていて、とても勉強になりますね!」

西森さん「それでどうにか会う約束を取り付けて、2時間だけお時間を作って頂けたので、とにかく質問したいことを沢山リストアップしてお会いしたのですが、第一声が『君たちにチョコレートは作れない。チョコレートは素人がやってできるものじゃない。僕は今日君たちの話を聞きに来たわけじゃなくて、チョコレート作りを諦めてもらうために説得にきたんだ』と言われてしまって…凄く衝撃を受けました(笑)」

ue_mon「それはかなり衝撃的な言葉ですね。」

西森さん「がっかりもしましたが、凄く悔しかったのと、先生が書いた本で分からないところに沢山付箋も貼っていたので、『とりあえずそれだけでも教えてください!』と食い下がって、色々とお話をしていくうちに、佐藤先生が『これだけ勉強しているんだったら、僕の考え方を変えたほうが良いかもしれない。』と仰られて、結局予定していた2時間では足らず、さらに4時間延長して、6時間話すことなりました(笑)」

ue_mon「6時間!?」

西森さん「はい。なぜ同じ味のチョコレートが作れないのか、考えられる要因を挙げて、佐藤先生に質問、質問を繰り返しているうちに…」

ue_mon「それで答えは出たんですか?」

地域特有の気候がもたらす難しさ

出雲「La chocolaterie NANAIRO」。日本の美しい原風景と、四季に寄り添うチョコレートが生まれた話(前編) 連載「チョコと人と、物語と」vol.08

西森さん「その時は議論して答えが出なかったのですが、それから佐藤先生も全面的に協力して下さることになって。でも私がチョコレートを作ったときに、その日の天気や気温・湿度等のデータを記録していて、それらを照合した結果、特に夏の時期に作られたチョコレートに限定して味にバラつきが生じていたので、一つの仮説として、それは恐らく『この地域特有の気候が関係しているのだろう』と。」

ue_mon「それは興味深い話ですね! どんなところが影響しているのでしょうか?」

西森さん「うちではチョコレートをメランジャーで約60時間ほど練り上げていますが、その間の気候の変化がチョコレートの味わいにも影響しているのだと思います。例えばこの出雲地域は5月は凄く乾燥するんです。

冬の時期に乾燥するのは全国的に共通していると思いますが、ここの5月の湿度は年間を通して最も低いです。その影響で5月に作るチョコレートは酸味が鮮やかに表現されます。

次の6月は梅雨の時期で湿度が高い。そして7月は気候が不安定で寒暖差が激しいんです。8月はアジアらしい湿度の高い暑さになります。それで思い返して一つ気付いたことがあって、様々なチョコレートの専門書を読んできて、それらがヨーロッパを中心に書かれていることが多くて、ヨーロッパは通年乾燥していて湿度が安定しているし、夏の気温も日本ほど上がらないので条件が違っていて、アジアや日本の様な異なる気候帯でのチョコレート作りについて研究された文献って探したところ無いんですよね。」

ue_mon「なるほど! 確かに湿度の多い日本では条件が違いますね。それに加えて出雲特有の気候も複合的に絡むことで、より複雑に影響してくるんですね。」

出雲「La chocolaterie NANAIRO」。日本の美しい原風景と、四季に寄り添うチョコレートが生まれた話(前編) 連載「チョコと人と、物語と」vol.08

西森さん「また、その気候が影響する原因が、部屋の密閉度が低いことにあると思うんです。今チョコレートを作っている場所は、元々オフィスの中の給湯室だったところを改装してできているんですが、あちこちに隙間があって、どれだけ空調で気温を整えても外気が入ってきちゃうんです。しかも以前は部屋の10カ所以上に温度計と湿度計を置いていたんですが、全部示す数値が違って(笑)だから私はもう数字に頼らない様にしています。結局、『同じ味のチョコレートを作れないんだったら、同じ味のチョコレートを作るのを諦めよう』と。」

ue_mon「それで現在の製造番号を意味する『Batch no.(バッチナンバー)』をそのまま商品名にする形になったんですか?」

西森さん「はい!一回の製造量を30kgに限定して、一年をチョコレートが比較的安定して製造できる秋冬の時期と、偶発性の高い春夏の時期に分けて、秋冬に製造したものを次シーズンの春夏のコレクションとして発売して、春夏に製造したものを秋冬コレクションで発売しています。」

ue_monさん

ue_mon

通りすがりのただのチョコ好き

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Instagram ue_monにて、お酒や料理、チョコレートの情報を発信中。チョコのテイスティングの感想も上げながら、チョコレートの魅力や楽しみ方も投稿。この連載では、チョコレートの作り手、ブランドを担う人々の姿や想いを執筆してくれます。

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La chocolaterie NANAIRO
島根県出雲市坂田1934
営業時間:10:00~19:00
定休日:水曜日