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涙なしでは読めない壮絶インタビュー。TV出演で起きた幸せの崩壊。鬱と地獄から這い上がった老舗和菓子屋の若き女将「MOEMI」の覚悟

涙なしでは読めない壮絶インタビュー。TV出演で起きた幸せの崩壊。鬱と地獄から這い上がった老舗和菓子屋の若き女将「MOEMI」の覚悟

涙なしでは読めない壮絶インタビュー。TV出演で起きた幸せの崩壊。鬱と地獄から這い上がった老舗和菓子屋の若き女将「MOEMI」の覚悟

埼玉県の桶川市、1887年(明治20年)創業と歴史ある和菓子老舗「五穀祭菓をかの」。商店街の中にある、古き良き和菓子屋さんとして地元の人に愛されながらも、時代の流れもあり赤字続きの経営難に。実家でもあるこのお店を立て直そうと、全力を尽くす6代目の若き女将、榊萌美さんが今回の記事の主役。

「MOEMI」の名前で、その明るいキャラクターと前向きな経営へのスタイルが和菓子界に旋風を巻き起こし各メディアでも引っ張りだこになるなど、黒字化させた手腕も評価されています。「元ギャル系」で若い女将として、そのルックス含めて注目の的となっている彼女、明るく振舞いキラキラして見えるその姿の裏には、彼女が経験した壮絶なエピソードが隠されていました。「辛い」「悲しい」という言葉では表しきれない、涙と現在進行形で努力し続ける彼女の姿を、取材しお届けしていきます。

~始まり~「元ギャル」。実家をつぐと思っていなかった過去

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Q.家業である、「をかの」を継ごうと思ったきっかけを教えてください。

MOEMIさん「『をかの』という存在は、地元では知られていて、お父さんがPTA会長をつとめていたこともあり、学校からお菓子の注文があったり、地元では広く認知はされていたけれど、新しいお客さんが来ないような古い老舗の和菓子屋でした。

一方で、私は親の望むようないい子ではなく、親の目を盗んでは夜中に家を抜け出し、地元の友達と公園にたむろしてオールしたり、先輩のバイクの後ろに跨がり、埼玉の渋谷的存在『大宮』に行ったり、当時の私なりに精一杯の大人っぽい格好をして年齢をごまかしてクラブへ行ってみたり……。

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そんな私が、お店を継ごうと決意したのは友達のお母さんのとある言葉でした。

『萌ちゃんはお店継いだの?』

『え、継がないよ。なんでそんな事聞くの?』

友母『卒業式の時言ってたじゃん!お母さん達みんな萌ちゃんが継ぐの楽しみにしてるんだよ』

過去の遠い記憶から、頭の中でその話がぐるぐるまわり、当時の卒業式のビデオを必死に探しました。そして、見つけて再生してみると、確かに友達のお母さんが言う通りでした。その映像を見た瞬間に、今までにないほど胸が高揚して心臓が弾けそうになったんです。

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『そうだ。私は大好きなお店を継ぎたかったんだ』。大好きな人たちと、大好きなこの桶川市で。パン屋さん、八百屋さん、甘味処、定食屋さん、クリーニング屋さん。年々無くなっていく大好きだった商店街のお店と共に私自身の記憶やあの頃の気持ちも無くなっていたんです。そこに気づくと目的が変わらなければ、手段は変わっても良いのではないか?
お店を継ぐ事によって自分の家族や従業員、をかののお菓子を好きでいてくれるお客様のために繋がるかもしれない。

よし決めた。継ごう。それがきっかけでした。

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Q.ご両親は喜んでいらっしゃいましたか?

MOEMIさん「いいえ。二人とも驚いていて、表情も暗かったんです。それはお店が大赤字だったから。祖父からは、せっかく公務員になれるかもしれないのになんでわざわざ泥舟に乗ろうとするんだと散々怒られたりもしました。

大学を辞め、さすがに世間を知らなすぎる状態でそのまま実家を継ぐのは、と思い当時バイトしていたギャル系のアパレルの会社にそのまま就職したんです。そして2年が経ち、アパレル会社の新宿店が閉店すると同時に退職し『をかの』に入りました。」

~挫折~ 考案した「葛きゃんでぃ」がTVで取り上げられ人気に。成功への序章がお店の崩壊、地獄の始まりへ

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Q.経営難な中で、「葛きゃんでぃ」を考案し、成功したように見えますが?

MOEMIさん「この葛きゃんでぃは、私が入社して考案したものです。埼玉にも、こんなかわいいキャンディがあったらいいなと思い開発しました。

一番最初に、葛きゃんでぃが爆発したのは2年前でした。今までネットでこんなにも商品が売れるということが一度もなかったので、嬉しい反面で生産数も追いつかないし、どうやったらいいかも誰もわからない状態でした。『いつになったら買えるんだ』『発送はいつだ』そんなクレームが毎日きて、大量生産となると製造の途中でミスが起きたり、1日2時間睡眠が続くときもあったんです。そうしているうちに、職人である従業員が『俺らはアイスを作りに来ているんじゃない』といって辞めてしまって。

twitterなど、SNSでもたくさんのことを書かれました。このキャンディはパクりじゃないとか、この女将の代で潰れるだろうとか。

「あなたは女にすぎない、早く金持ちを捕まえて結婚しろ」優しかった父の友人が放った残酷な言葉

涙なしでは読めない壮絶インタビュー。TV出演で起きた幸せの崩壊。鬱と地獄から這い上がった老舗和菓子屋の若き女将「MOEMI」の覚悟
それをやりながら経理、経営みて今後どうするか
人の採用も自分でやっていて、

化粧品の写真、PR案件やっていて、それを
寝る寸前で、備品にあてている

「崩壊していく、お店の雰囲気。そしてお店。私の心が崩壊したのは、とある父の友人、優しいと思っていた人の言葉でした。難しいビジネス言葉をたくさん並べられ『そんなんで経営なんてできるのか? 君は女でしかない。早く金持ちを捕まえてこい』『お前が何も考えずに、キャンディを売ったからこうなったんだ。お父さん、お前のせいで死ぬぞ!』とか言われて、鬱に近い状態になってしまいました。何もしてなくても、自然と辛くて涙が出てくるぐらい。

いいことだと思ってやったら、こういうことになってしまった。そこで多くの事を学び、この『をかの』を本気で立て直そう、みんなが笑顔で働けるようにしようと思い、辛い気持ちを乗り越えて、今に至ります。何がその時に足りなかったのか、それは『覚悟』でした。

その後は、毎年大赤字だった会社をコロナ禍中に2年連続黒字にすることが出来ました。それも私のことを支えてくれた右腕でもある友人のスタッフ、そして地元の皆様、また私やお店を応援してくれた皆様のおかげです。まだ残念ながら負債は残ってるので余裕はありません。朝から晩まで働いても学生のバイトの子くらいしか給料は貰っていないし、経費を使わないように自分の給料から会社の物も買うようにしてます。

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それをやりながら経理、経営みて今後どうするか
人の採用も自分でやっていて、

化粧品の写真、PR案件やっていて、それを
寝る寸前で、備品にあてている

このお店の前にあるこたつは、化粧品のPR案件などで稼いだお金で買ったんです。まだまだ私は、挑戦の真っ只中。キラキラして見えると思われてしまうかもしれませんが、現実は泥まみれになるように一生懸命働き、一生懸命前を向いて走り続けることをしています。

~革新と初心~「私の名前よりも、愛される『をかの』を残したい」

涙なしでは読めない壮絶インタビュー。TV出演で起きた幸せの崩壊。鬱と地獄から這い上がった老舗和菓子屋の若き女将「MOEMI」の覚悟
それをやりながら経理、経営みて今後どうするか
人の採用も自分でやっていて、

化粧品の写真、PR案件やっていて、それを
寝る寸前で、備品にあてている

Q.今後はこの「をかの」をどのようにしていきたいと考えていらっしゃいますか?

MOEMIさん「かき氷をやったり、フルーツ大福をやったり、色々なことに挑戦しました。取材されることで、私の名前が先に来るようになってしまったと思っています。店よりもアイスよりも私になってしまって。お金をかけずに、広告を出さずに、売り上げを出すという意味ではいいことかもしれませんが、歴史あるお店の名前をこのまま残していきたい、と思ったときにここで私の店にしてしまったら違うと思うんです。地元の人に支えてもらってきたお店だから、私が私の好きなようにしたら、それはお客様のためじゃないんじゃないかなと考えています、ずっと。だから『をかの』の良さをしっかり残していこうと思っています。」

~感謝と恩返し~ 

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Q.どんな想いを持って、今の道を進んでいますか?

MOEMIさん「今年はクラブハウスで弁才天の社長、ダイワのこうきさん、たくさんの方にアドバイスをいただけました。ビジネスの戦略的なことは難しいけれど、今は一つ一つ勉強しているところです。こういう風にチャンスをいただけているのは使命だと思っていますし、恩返しのつもりで、次の世代や悩んでいる方の役立ちになりたいと考えています。こうやって私が前にでることで、同じような悩み抱える人の道になれたらいいなと。」

Q.SNSで汚い言葉をはかれることも多いですが、どう対処されていますか?

MOEMIさん「アンチに叩かれるデメリットよりも、プラスになることのほうが多いとポジティブに考えています。私のSNSを見てきてくれた人がすごく増えて嬉しいです。

中でも嬉しかったのが80歳ぐらいのおばあちゃんのエピソード。70年も『をかの』に通ってくれている方で、その方のひいおじいちゃんの時の話をしてくれました。その当時は、お昼は梅干しが一個しかない貧しい戦時。その時に月に1回、20円もする、をかのの最中を買うのが幸せだったと話を聞きました。

一番好きだったこの店が残っていることが本当に嬉しい。

その言葉に涙があふれてしまいました。『あなたは今新しいことに挑戦して、お店は少しずつ変わってはいるけれど、それもこのお店を残そうと思ってくれてだから、ありがとうと言いたい』と言われて。

涙なしでは読めない壮絶インタビュー。TV出演で起きた幸せの崩壊。鬱と地獄から這い上がった老舗和菓子屋の若き女将「MOEMI」の覚悟

今の私は、覚悟をしっかり持って、前を向いています。これからの『をかの』をぜひよろしくお願いします。」

~編集長による編集後記~
MOEMIさんを取材する前は、SNSでよく見かける勢いのある、美人な女将だなぁ、キラキラしているなぁと、そういう観点でしか彼女を見ることができていませんでした。そして取材をし、実際の彼女の眼を見て、彼女が歩んできた壮絶な話を耳にし、思わず自分を恥ずかしく思ってしまった。先入観で、人を見てしまった。メディアの編集長として、すごく情けなく、すごく未熟だと感じた瞬間でした。取材当日は、彼女の車でなぜか桶川の観光をする流れになり、色々なところを見せていただき、最後には地元の自慢のうどん屋さんでご馳走にまでなってしまいました。この記事の写真は、すべて私編集長が撮影したもので、なんでこんな雰囲気の写真?と思った方もいらっしゃるかもしれません。これは、彼女の桶川への愛がつまったものを表現したいと心から感じたから。

私と同様に彼女のInstagramからキラキラして、気に障った人もいるかもしれません。でもこの記事を読んだら、彼女のことをいとおしく思う人が多いのではないでしょうか? 応援したくなる、そんな魔法のパワーと元気を持ったMOEMIさんを、これからも応援していきたいと思いました。メディアとして、伝えるべきはそんな作り手の真の想いと歩みです。

About Shop
をかの本店
埼玉県桶川市南1丁目6−6
営業時間:9:30~18:00
定休日:月曜日

クリーム太郎

クリーム太朗

ウフ。編集長

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編集責任者。ショートケーキ研究家として、日本全国のケーキを食べ比べる。自身でも、ケーキやチョコレートの製造・販売を目指すべく、知識だけではなく実技も鍛錬中

Photo&Wiriting/Cream Taro