ウフ。のパフェ特集も中盤に差し掛かり、既に沢山のパフェや作り手を紹介してきました。新店舗のパフェ、ホテルのパフェ、芸術的なパフェやトリッキーなパフェなどなど。どれも魅力的なパフェばかりです。
こうした新しいものも良いけれど、クラシックなものにも惹かれます。
誰もが子供の時に親しんだ「フルーツポンチ」は日本発祥の、まさにクラシックなパフェ。実は、その生みの親は東京随一の老舗果物専門店「銀座千疋屋」なんです。
今回は、歴史のいっぱい詰まった「銀座千疋屋」と、「フルーツポンチ」の魅力についてたっぷりとお伝えします。
「千疋屋」の歴史は江戸後期まで遡ります。1834年、1人の商人が現・日本橋人形町の一画に簡易な露店を開き青果を販売したのが始まりです。それから60年。千疋屋総本店から暖簾分けをし、現在の中央区銀座8丁目に「新橋千疋屋」が誕生。これが後の「銀座千疋屋」です。
東京駅がまだない時代で、「新橋千疋屋」にほど近い新橋駅は横浜港へ行くための始点。お客さんの中には、旅路の前後に立ち寄ってその場で食べる人も多かったのだとか。そんな姿を見ていた初代が果物専門の食堂を作りました。
その後、二代目 齋藤氏が「果物食堂フルーツ―パーラー」と改名。
1913年以降、3階建てに改築した「銀座千疋屋」。当時はまだ珍しかったショーウィンドウや、ガラス扉をはめ込んだ先駆的な建物が一役買い、瞬く間に高級果物店としての知名度を全国に上げました。
渡来が増え、洋風化が進んだ大正時代。
多くの外国人もまた、この「フルーツパーラー」を訪れたそうです。
日本特有の文化と洋風の内装の対比は人種に関わらず、その時代を生きる多くの人の感性を刺激したのかもしれません。
齋藤氏は好奇心と冒険心を持ち合わせた情熱家だったそうで、今では誰もが知る「フルーツパーラー」も、今回の主役「フルーツポンチ」も彼が考案者。
西洋文化がどっと入ってきた当時、齋藤氏は珍しい果物をお客さんに楽しんでもらうため渡航を繰り返していたそう。
生の海外を経験した齋藤氏はその後、果物を日本独自の方法で堪能出来たらと感じました。さらに、果物店は秋冬になるとお客さんの客足が減ってしまう状況でもあり、その打開策として発案したのが「フルーツポンチ」です。
「フルーツポンチ」はブレンドした洋酒に細かく刻んだ果物を添えたカクテル“フルーツパンチ”から着想を得たそう。果物専門店らしく果物とお酒の割合を逆転。ステムの長いグラスに入れ「フルーツポンチ」と名付けました。
「フルーツポンチ」の誕生から基本を変えず、メニューに載り続けた味はクラシックの殿堂。「銀座千疋屋」の代名詞メロンは常時のせ、他に旬の果物を合わせているそうです。取材時には、パイン、ドラゴンフルーツ、ぶどう、りんご、缶詰の黄桃など10種類が入っていました。
シロップは、赤ワイン、白ワイン、ブランデー、ジンのブレンドに、水とレモン汁を加えることで美しいバラ色に。
付属のストローで飲むと甘すぎて喉につかえることはなく、ガムシロップの懐かしい甘さを感じることができる絶妙なバランスです。
サイコロほどの大きさにカットされたりんごは、シャリシャリとした食感と共に絡んだシロップの風味が広がります。マンゴーは口の中で溶ける柔らかさ。一様にしてグラスの中でキラキラと光る果物はまるで宝石のようです。
時代に合わせてさまざまなことに挑戦してきた「銀座千疋屋」。100周年の時には「フルーツポンチ」の100円セールを行い大反響だったそうです。
現在では、果物を主役にした和スイーツの開発や「フルーツパーラー」独自のブレンドコーヒーの開発など、新たな可能性を広げています。
しかし、その根本にあるのはいつでも“その時期に一番美味しいものを最適な状態で提供すること”。今も昔も、変わらずに専属の目利きが市場から果物を厳選しているそうです。
近々130周年を迎える「銀座千疋屋」。果物一筋で商いを続けてきたからこそ、日本の果物は世界に誇れる素晴らしい産物だと実感しているそうです。その良き文化を守り育て、次の世代に届けることが老舗の役目だと受け止め、「銀座千疋屋」はこれからも歩み続けます。
みなさんも子供のころから親しんだ「フルーツポンチ」を、今一度味わってみてはいかがでしょうか。
About Shop
銀座千疋屋本店
東京都中央区銀座5丁目5−1 2F・B1F
営業時間:[日〜木・祝]11:00〜18:00/[金・土]11:00〜19:00
定休日:なし
園果わたげ
ウフ。編集スタッフ
ufu.の新米編集者。メンズカルチャー誌でアシスタントを経験後ufu.に転身。 特技は甘いものを食べ続けること。最近は美術館内レストランの限定コラボスイーツにハマっている。
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