世界は私たちの知らないお菓子で溢れている。
この連載では、世界を旅するパティシエ「郷土菓子研究社」の林周作さんをナビゲーターにむかえ、その土地の環境や文化から生まれた不思議で美味しいお菓子を紹介します。
第6回は音楽の都オーストリア・ウィーンから。古くはローマ時代から栄え、その後は音楽史や美術史においても重要な国へ。天才作曲家でピアニストのモーツァルトや、「接吻」で知られる画家グスタフ・クリムトの母国でもあります。
そんなオーストリアの郷土菓子から、チョコレートケーキの王様と称される“ザッハトルテ”を紹介。チョコレートグラサージュの中には、濃厚なチョコレートスポンジとアプリコットジャムが。実はオーストリアの歴史を語る上で欠かせない、ハプスブルク家と密接な関係があるんです。
ヨーロッパ大陸のほぼ中央に位置するオーストリアは、イタリア、ドイツ、スイスなど計8か国に囲まれた内陸国。歴史的な街並みと広大で豊かな自然は、観光地としても人気です。
オーストリアの食文化は様々な国と文化、各州によるアレンジが絡み合い極めて多彩。特に、首都ウィーンは “ウィーン料理”というジャンルができるほど独自の発展を遂げてきました。その背景には王朝ハプスブルク家による統治が大きく関係しているんだとか。
林さん「ハプスブルク家は600年以上もの間ヨーロッパの広範囲を支配していました。その流れを受けて、街並みや店が凄く豪華。日常使いのカフェであっても、現在では作れないだろうなと思うほど荘厳な造りをしている店が多く、贅沢な気分になります。
そして、お菓子に関しても“ウィーン菓子”と呼ばれるしっかりとしたジャンルが確立され、洗練された印象のものが多いです。例えば、伝統菓子のひとつカーディナルシュニッテンは、諸説ありますが、カトリックの旗をモチーフに作られたそう。全卵とメレンゲ生地を交互に焼き、クリームをたっぷり挟んだ定番のお菓子です」
美食家だったハプスブルク家は芸術や音楽以外に、スイーツの開発にも力を注いだそう。王朝側近のシェフやパティシエが腕を振るい、現在も残る様々なお菓子のレシピを考案。ザッハトルテもまた、そんな歴史の中で誕生しました。
林さん「生みの親であるフランツ・ザッハは当時16歳で、貴族の家柄にあったメッテルニヒの料理人として仕えていました。ある日、メッテルニヒから“かつて誰も食していないデザートを作れ”と指令され、誕生したのがザッハトルテです。
フランツ・ザッハはホテルの経営も行っていましたが一時、経営が傾きザッハトルテの販売権の代わりに資金援助を求めたんです。その相手がウィーン王宮御用達菓子として愛され続ける店『デメル』。これがのちに“世界一甘い10年戦争”と呼ばれるようになった、ザッハトルテの販売権を巡る裁判のきっかけとなったんです。
結果、オリジナルは『ホテルザッハー』となり、ケーキの上には丸いチョコレートのメダルが飾られ、『デメル』は『デメルのザッハトルテ』として販売権を獲得し、ケーキの上には三角形のチョコレートがのっています」
※ザッハトルテの歴史には諸説あります
林さん「2つのザッハトルテには他にも、アプリコットジャムの塗り方に違いがあります。『ホテルザッハー』はチョコレートスポンジの間と表面にアプリコットジャムを塗っているのに対し、『デメル』はスポンジの表面にのみ塗っています。
今回、作るのは『ホテルザッハー』風です」
ザッハトルテを作っている際の厨房は、はじめはアプリコットの甘酸っぱい香りに満たされたかと思うと、次のグラサージュの工程では瞬く間にチョコレートの甘い香りへと変化していきます。
林さん「パーツはチョコレートのスポンジ、アプリコットジャム、チョコレート(グラサージュ)ととってもシンプル。しかし本場で食べた時の感動や美味しさを表現するのがとっても難しいお菓子でした。
特にザッハトルテのグラサージュは特徴的で、シャリシャリとしているんです。これは結晶化させた砂糖とチョコレートを合わせて生まれる食感ですが、温度変化でみるみるうちに状態が変わっていきます。すると、ケーキ全体を覆ったときの滑らかさやツヤ、厚みにも影響を与えます」
スポンジの間、外側にたっぷりと塗ったアプリコットジャム。作り立ては切り口から溢れるほどですが、時間を置くとスポンジに馴染んでしっとりとした味わいに。甘いイメージを持つ人も多いザッハトルテ。
しかし実際はそんなことなく、チョコレートのもったりとした印象を引き締めるように、シャリっとしたグラサージュの食感とアプリコットの酸味が加わり最後までぺろりといけちゃいます。
林さん「本場ではたっぷりのクリームを添えてサーブされるので、その分甘さは控えめに。チョコレートのコーティングは見た目にも贅沢な印象を与え、とてもウィーンらしいお菓子ですね」
日本でカフェと言えば若い人が多いイメージ。しかし、ウィーンでは紳士が多いことに驚いたそう。
林さん「『ホテルザッハー』に行くと広々とした店内はクラシックな雰囲気で、背広を着た紳士やマダムが多いことに驚きました。
日本でもウィンナ・コーヒーはポピュラーですが、ウィーンでは古くからカフェ文化が浸透しており、カフェハウスはユネスコ無形文化遺産に登録されています。また、オーストリアの人はびっくりするほどケーキをよく食べ、ワンホールで購入する人が多い。ザッハトルテはもちろん他にも、お菓子とコーヒーはオーストリア国民の生活にとって欠かせない存在と言えるでしょう」
現在世田谷区・三軒茶屋にある『JOURNEY(ジャーニー)』のオーナーシェフを勤める林さん。日本では珍しい世界各国の郷土菓子を専門に作る菓子職人です。自ら世界中をバックパックで巡って出会い感動した人と郷土菓子の数々。林さんはその時感じた美味しさを、現地の文化や環境、歴史と共に伝えたいと店を拠点に本やメディアを使って発信しています。
ウィーンではザッハトルテの食べ歩きをしたそうで、林さんの一押しは『OBERLAA(オーバーラー)』のもの。観光スポットでもあるシュテファン大聖堂の近くにあり、店内ではザッハトルテ以外にもさまざまなケーキが味わえ、そのどれもが甘さ控えめで美味なんだとか。
「世界のお菓子を巡る旅」は今回が最終回です。これまでありがとうございました。
園果わたげ
ウフ。編集スタッフ
ufu.の新米編集者。メンズカルチャー誌でアシスタントを経験後ufu.に転身。 特技は甘いものを食べ続けること。最近は美術館内レストランの限定コラボスイーツにハマっている。
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