小中学生女子の将来就きたい職業ランキングで、5年連続1位に輝いた「パティシエ(お菓子職人)」(※1)。しかし、25歳以下ではパティシエ全体の8割以上が女性であるにもかかわらず、46歳以上では男女比が逆転(※2)。長時間労働とライフイベントとの両立に悩み、多くの女性が離職しているのが現状です。
現在活躍している女性パティシエは、どうやってキャリアを積み、どのようにプライベートと両立していったのか?
女性パティシエの働き方に迫る連載1回目で紹介するのは、焼き菓子店として始まり、現在は予約制パフェでも人気を博する「KUNON Baking Factory(クノン ベイキング ファクトリー)」店主の久野綾乃さん。過去と現在、そして将来の夢について語っていただいたお話を、2回にわたってお届けします。
※1)アデコ株式会社.“全国の小中学生1,800人を対象にした「将来就きたい職業」に関する調査:男子の1位は「サッカー選手」、女子の1位は「パティシエ」”.アデコ コーポレートサイト https://www.adeccogroup.jp/power-of-work/326
※2)ufu.[ウフ。].“【THINK ME】なぜ大勢いた女性パティシエの大半が辞めてしまうのか?高い離職率の製菓業界「若手の本音」” https://www.ufu-sweets.jp/patisserie/2024think-me/
南砂町にお店を構える「KUNON Baking Factory」。2019年に週2営業の焼き菓子店としてオープンし、久野さんの妊娠・出産による営業休止を経て2021年から再開。2024年からは予約制のパフェも提供して人気を集めています。
久野さんのパフェの大きな特徴が、彼女の出身地である静岡県産の素材がふんだんに使われていること。農園まで足を運んで選んだフルーツは収穫後数日のうちにお店に届き、パフェに用いられるのだそう。パフェの専門家や有名パティシエも魅了するその味わいは、一度食べたら忘れられません。
短期大学を卒業した後、保育士として児童養護施設や自立援助ホームで5年間勤務していた久野さん。「人生観が変わる、やりがいのある仕事でした」と、当時のことを振り返ります。
「児童養護施設や自立援助ホームでは、様々な事情で親と一緒に暮らしていない子どもたちが生活しています。子どもたちの安定した生活環境を整えるとともに、生活と学習の指導、家庭環境の調整をおこなうのが仕事です。
特に自立援助ホームでは15歳から20歳(状況によって22歳まで)の高年齢の子どもが入所するため、経済的にも精神的にも社会に出て自立できるよう、子どもたちと様々な関わりを持ちました。
そんな中、苦しみながらも日々成長し葛藤する子どもたちがリラックスし、笑顔が見られる場面が多かったのが、食事とおやつの時間です。その中で、美味しいものを共につくり、食べることは心(精神)を満たすことだと強く感じました。
子どもたちとの食事の場面での楽しいエピソードは今でも数え切れないほど記憶に残っています」
久野さんはその後、児童福祉の経験をもとに保育専門学校の教員に転職。約2年半生徒を指導した後、未経験で音楽雑誌を中心に手掛ける有名企業『rockin’on(ロッキング・オン)』の広報に…!ガラッと職種を変更したのは、一体なぜ?
「結婚したこともあり、改めて女性としてのライフプランを考えました。また、児童福祉の分野でしか経験がなかったですし、別の角度から世の中を見てみたいという気持ちもありましたね。契約社員で働ける好きな音楽系の仕事を探したところ『rockin’on(ロッキング・オン)』の募集を見つけ、応募に至りました。
入社後は日本を代表するフェスの広報に配属され、何十万人を動員するイベントに携わりました。アーティストの出演発表に伴う情報解禁の調整、公式サイトやX(旧ツイッター)、メルマガ、フェイスブックの更新など、担当が上司と私の2名体制だったため多くの実務を担当しました。
そのほかのイベントやコンテンツも担当して仕事は多岐にわたりましたが、得るものは多く、全てが新鮮でした。
物販やマーケティングについての知見を得たのもこのときです。何百万人が目にする広告物や媒体、SNSに関わることで消費者の購買行動の流れをはっきりと感じられました。人が何に興味を持ち、情報を得て購買フローまでたどり着き、購買し、その後情報を拡散していくのか、これは今までにない感覚でした。
社内でよく言われていた“企画が大事”という考えが、今の店の商品開発にもつながっています。『売れる商品を生み出すためには、イメージするターゲットに興味を持ってもらうための糸口が必要なんだ』と教わって。日本トップクラスのアーティストやクリエイターと関わるうちにだんだんと、“自分も何かを生み出せる人になりたい”と思い始めました」
その後久野さんは、未経験からパティスリーでアルバイトとして働きつつ、製菓学校への通学もスタート。一体、そこにはどんな思いが?
「“自分も何かを生み出せる人になりたい”という漠然とした思いを深掘りして、自分が得意でかつ勝負できることは何かを考えました。仕事をこなしながら、勤務後の時間や休みの日を使い突き詰めた結果、純粋に焼き菓子をつくることが好きだという気持ちと、児童福祉で感じた“食は心を満たす”という思いが頭をよぎったんです。
そこから少しずつ勉強を始め、未経験でも雇ってもらえるパティスリーを必死に探して。その結果、運良く『焼き場(※3)を担当したい』というお願いを承諾してもらえるパティスリーが見つかり、2年間の予定だったロッキング・オンの契約社員を1年半で退職してその店に入りました。
※3)焼き場:クッキーやサブレ、スポンジ生地などを焼き上げる部門
その後、日中はパティスリーで働きながら夜は工房の資金のためのアルバイト、週末は社会人向けの製菓学校に通う睡眠時間3時間の1年間が始まりました。
パティスリーでは1日8時間、少なくとも週4日は働いていたので、なかなか試作する時間が取れませんでしたが…。『今日は生地の状態が不安定だったな』や『なんでこの焼き色になるんだろう?』など仕事中に疑問点がたくさん生まれ、その都度学校で解消しました。
周りの人たちは皆先輩でしたが優しく、楽しく仕事をさせてもらいましたね。入ってすぐに焼く作業を見せてもらって補助作業をするのも、ほかのパティスリーでは経験できなかったと思います。引っ越しの都合で1年間しかいられませんでしたが、とても良い環境で感謝しかありません」
久野さんは、旦那さんの実家の建て替えをきっかけに南砂町に引っ越すことに。その際に、お店を持つチャンスが訪れます。
「実家の建て替えをする際、すでに決まっていた焼き菓子の卸の仕事のため、1階に菓子製造スペースを作ることに。その時点ではここで販売する予定はなかったので、最初は小さいオーブンと冷蔵庫、流し台しかないスタートでした。
しばらくはカフェへ卸すお菓子を計画通り製造していましたが、やはりお客様からの反応をダイレクトに受け取りたいという気持ちが日に日に強くなり、半年後、この場所でお店を始めることにしたんです」
パティスリーを退社しておよそ半年後にオープンすることとなった焼き菓子専門店「KUNON Baking Factory」は、すぐに遠方からも人が訪れる人気店に。しかし、その後に待っていたのは帯状疱疹や血尿になるほどの過酷な労働でした。
「ロッキング・オン時代に学んだSNSや告知方法を活用し、ありがたいことに徐々にお客様が増えていきました。自分では多くのお菓子を作っていたつもりでしたが、生産性の高い仕事をするのにも技術と設備が必要なんですよね。
その後まもなくして、来店してくださるお客様の人数に対して十分なお菓子が作れなくなりました。私は修業期間が短い分、生産力が低かったんです。
失敗して多くのロスを出し夜中に材料を買うために自転車で爆走したり、指導してくれているシェフに泣きながら『生地がこんな風になっているんですけど、大丈夫ですか?』と電話したり…。当時は必死でしたが、今思えば、とても恥ずかしいエピソードばかりです。
疲れ果ててベッドまでたどり着けず自宅の床で寝る生活が続いたら、体が悲鳴を上げて帯状疱疹が一気に出て、血尿まで。また私が仕事に打ち込みすぎて、家庭のほうもおろそかになってしまいました。製造スタッフを1人雇って手伝ってもらいましたが、オープンしてから1年ほどはまともに寝られない過酷な時期が続きましたね」
そして、久野さんは妊娠と出産を迎えることに。後編では、大きなライフイベントを経た久野さんが考える、お客さんに選ばれ、子育てと両立できる店づくりを紹介します。
About Shop
KUNON Baking Factory
東京都江東区北砂4-29-14
営業時間・定休日:完全不定期(Instagramで告知)
Instagram:@kunon_baking_factory
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