「きのこ派?たけのこ派?」「私、きのこ!」「いやたけのこでしょ」…。スーパーやコンビニのお菓子コーナーの前で、そんな熱い討論をした経験がある人は多いのではないでしょうか?そんな“きのこたけのこ戦争”を引き起こす唯一無二のユニーク菓子「きのこの山」と「たけのこの里」。※以下、あわせて「きのたけ」と表記
そもそもなぜこの論争は始まったの?どちらのチョコが先に生まれたの?いつ決着はつくの?…そんな「きのたけ」への素朴な疑問を、マーケティング担当者に直撃取材しました!
今回の取材に答えてくれたのは、株式会社明治カカオマーケティング部の船山慶さん。アツく軽快なトークで「きのたけ」の魅力を伝えてくれました。
ちなみに「きのたけどっち派ですか?」とお聞きすると、即答で「たけのこ派…ですが、ブランド担当になってからはきのこも好きです」とのこと。明治社内では、「たけのこ党」「きのこ党」の党員証が配布されるほどの力の注ぎっぷり。
明治社内でも日々繰り広げられるという「きのこたけのこ対決」。いつ頃から始まり、どう広がっていったのでしょうか?公式の見解を深堀りしていきます。
1980年ごろから、なんとなくユーザーの間で広まっていた「きのこたけのこ、どっち派?」という風潮。そこで2001年に明治側が公式に「きのこ・たけのこ総選挙」キャンペーンを行ったのがはじまりなのだそう。2018年・2019年にはさらに「きのこの山・たけのこの里 国民総選挙」を開催し、2019年の総選挙では、なんと合計1,059万票もの票が集まったのだとか!
Q.今までの総選挙は全3回ということですよね。結果として、どちらが勝利したのでしょうか?
船山さん「結果だけ言えば、たけのこの里が優勢でした。2勝1敗ですね。でもここで仮説が立ったんです。たしかにたけのこの里のほうが僅差で売れているし、票数も多い。でも、きのこの山を推す人のほうが愛が深いのではないかと。例えば、10人のうち7人が1人1箱買うのがたけのこの里派だとすれば、3人が1人3箱買う“偏愛”が強い人たちがきのこの山派なのではないかと思ったんです」
Q.なるほど。そこから「きのこの山・たけのこの里 総選挙」はどのように変化したのですか?
船山さん「この仮説を検証したいなと思っていたところ、2020年にコロナが大流行し、“争いをしている場合じゃない”世の中になりました。そこで、『きのこたけのこ、どっち派?』という争いではなく、『愛の深さ』『愛し方』を調べる『きのこの山 たけのこの里 国民大調査』をすることにしたんです。
具体的には、都道府県別に『食べ方(一口で食べる、なめる、塩をかけるなど)』や『食べるときに鳴らしたい咀嚼音は?(サクッ、カリッ、ぺろっ♪など)』など、どのように「きのたけ」を愛しているかというアンケートを取りました。結果として、愛の深さの度合いは人によって違うので、“きのこ派は偏愛なのでないか?”という仮説は正直測り切れなかったんですけどね(笑)」
船山さん「『きのこの山 たけのこの里 国民大調査』の結果から、青森県の津軽鉄道とコラボもしました。もともと2011年から継続的に「きのたけ」は東北エリアの応援をしていたのですが、コロナ禍で何も取り組みができていなかったんです。
そんなとき、国民大調査で、国内で最も『きのこの山の夢をよく見る』県が青森県ということを知り、ぜひ「きのたけ」で青森の力になりたいと思いまして。車内に津軽金山焼の「きのたけ」風鈴を設置し、冷やした「きのこの山」「たけのこの里」を無料で配布するという取り組みを行いました。
結果として、家族連れの乗車が増えたりと、津軽を応援することができたんです。地方自治体とコラボして地域を応援していく取組みは、これからも続けたいですね。」
常に社会的ムーブメントを引き起こしている「きのたけ」。なんと、きのこの山の発売からは47年、たけのこの里は43年という超ロングセラー。これだけの大ヒット商品、入念な調査のもとでつくられたお菓子なような気がしますが…?
Q.まず1975年にきのこの山が発売されたそうですね。商品開発のきっかけは何でしょうか?
船山さん「実は、当時弊社で1969年から販売していたチョコ「アポロ」が発端なんです。発売当初、アポロの売上がそこまで振るわなかったので、製造ラインを他の商品にも有効活用できないかと。
そこで色々なアイデアを出していたら、『アポロにカシューナッツを刺したら、きのこになるじゃん!』『いいじゃん』という話になりまして(笑)。こんな感じですね。
ただ、カシューナッツは粒の大きさや形にバラツキがあって、大量生産のお菓子に使うのは難しいということで、クラッカーをきのこの軸の部分に使うことにしました。こうしてきのこの山は誕生したんです」
Q.アポロにカシューナッツを刺すアイデアから始まったとは、意外すぎます(笑)そこからたけのこの里は1979年に発売されましたね。どのような経緯があったのでしょうか?
船山さん「きのこの山の兄弟分をつくろう、という話が始まりです。きのこの山は、ぱりぱりサクサクのクラッカーとたっぷりのチョコレートが特徴なので、それとは対照的に、ほろほろのクッキーを主役にしたチョコスナックにしようと開発がスタートしました」
Q.「きのこの山」「たけのこの里」の開発にあたり、試練だったことはありますか?
船山さん「実はたけのこの里の立体的なクッキー生地をつくることが、かなり難しかったんです。今では普通かもしれませんが、当時の工場技術では、薄く平らでないクッキーを焼くことが困難で。
そこで、型に入れて焼く方法で生産することになりました。当時の日本では初めての技術だったのではと思います。円錐の形は、均一に火を通すのが難しいので、今でさえ、たけのこの先端が焦げてしまったりもします」
Q.それぞれ、発売当初から現在まで、商品改良はどのくらいされていますか?
船山さん「発売当初から大きな改良は行っていませんが、「きのたけ」どちらも時代に合わせて、味やパッケージのリニューアルは行っています。例えば、2000年代に入り、チョコレートはただ甘いものより、ビターなものやしっかりとカカオの味がするものが人気になってきたので、2003年には1層だったチョコレートをカカオとミルクの2層に改良しました。
また直近では、2019年にクラッカーの塩味を少し強くしました。“甘じょっぱさ”を作り出すことで、より一層食べたくなる味にしています」
Q.ぶっちゃけお聞きしたいのですが、「たけのこの里」を開発する際、「きのことたけのこ、どっち派?」という「きのこたけのこ対決」は狙っていましたか?
船山さん「実は全く狙ってないんです。全てお客さまから自然発生的に起こった議論。すごいですよね。だから、私たちとしても、「きのたけ」に余計なテコ入れはせず、常に最良の品質を保つことに専念して、お客さま側から話題が上がるのを見守り、育む体制にしています。本当に不思議で特別なブランドです」
Q.「きのこの山」「たけのこの里」に続く第三勢力をつくる予定はありますか?
船山さん「今のところはないですね。実は過去に「すぎのこ村」という「杉の木」をモチーフにしたお菓子も販売していたのですが、なかなか定着せずで…。やっぱり、「きのこ」と「たけのこ」のシンプルで唯一無二のシルエットは定着しやすいし、「どっち派?」という二極対立も盛り上がりやすい要因なのかもしれないですね。ブランド担当としては、「○○の海」とか作ってみたいんですけどね(笑)
第三勢力の予定はありませんが、「きのたけ」の新フレーバーの市場定着ができればいいなと思っています。現在は「いちご&ショコラ」味や、厳選素材のバージョンも発売しているので、チェックしてみてください!」
Q.発売から40年以上、そして初めての「きのこたけのこ総選挙」からは20年以上。ズバリ、「きのこたけのこ対決」に決着がつく日は来ますか?
船山さん「ないです!ずっと平和に争い続けて頂きたいところです」
Q.これからも今も、そのユニークさと変わらないおいしさで人々に愛され続ける「きのたけ」。今後の展望について教えてください。
「現在はグローバル戦略を展開中でして。アジアへの輸出はもちろん、アメリカでは『CHOCOROOMS』という名前で販売しています。たけのこは日本独自の食材なので、なかなか定着させることが難しく、「きのこの山」の方が現状ではグローバルな存在です。
ゆくゆくは「きのこたけのこ」グローバル総選挙をすることが目標ですね。まずはアジア総選挙から始めて、地球上に広げたいと思っています。その先はもちろん宇宙。宇宙飛行士さんに宇宙で「きのたけ」を食べてもらえたら。…ロケットと、きのこたけのこ、似合うと思いますし(笑)
いろいろ夢を語りましたが、「きのたけ」は、明治社内としても面白おかしい取り組みが自由にできる唯一のお菓子。“まじめにふざける”をモットーに、これからもみなさんに元気を届けていきます。」
「きのこたけのこ対決」をはじめ、「きのこの山」「たけのこの里」の歴史や開発秘話をご紹介しました。お菓子の枠にとらわれない前衛的な取り組みや、ユニークな発想のコラボで人々に元気を届け続けるパワフルなお菓子。今後の世界進出も楽しみです。
ウイルスや気候変動、物価上昇など、世の中の不透明な不安や重圧に悩まされ、少し生きづらくなっている今日この頃。みなさんも「きのこの山」「たけのこの里」を食べて、元気をチャージしてみてはいかが?
Photo&Writing/Nanako Maeda
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