今回は、誰もがお世話になったお菓子“だ・が・し”特集!!
駄菓子ハンターの異名をもつ土橋真さんと一緒に駄菓子の世界を深堀します。
大人になって久々に見た駄菓子の“変わってなさ”に衝撃を受けてハマったという、駄菓子ハンター土橋真さんの語る駄菓子の魅力は何と言っても、年齢問わず美味しくて・安くて、種類が豊富なところだそうです。
結局一番美味しい駄菓子は“小さいころによく買っていたお菓子”だと言い切る駄菓子ハンター土橋真さんと一緒に、懐かしいを連呼してしまう駄菓子を一覧に!
超王道からマニアックなものまで。みなさん、いくつ食べたことがあるか数えてみてくださいね。
“懐かしいチョコレートの駄菓子を教えてください!”
という質問に駄菓子ハンター土橋真さんが真っ先に挙げたのが「チョコフォーカステラ」と「どらチョコ」。
駄菓子ハンター土橋真さん「僕は、結構ハイカラな家の子だったんです。母はハーシー(Hershey’s)のチョコレートとかを食べていましたから。でも駄菓子屋ではじめて『チョコフォーカステラ』を食べた時、アメリカのお高いチョコなんかよりも全然うめぇじゃん!って感じたんですよ。当時は、駄菓子屋で白い紙の上に5個ぐらい裸で置かれていました。場所によっては手づかみで取って食べていたんです。」
美味しいのはもちろんのこと、“準チョコの塊”っていうのが駄菓子らしくてたまらないそう。「チョコフォーカステラ」が大好きすぎてアレンジしまくっているという駄菓子ハンター土橋真さん。冷やして食べるのと、ホイップをのせて食べる方法がオススメと聞いて、早速やってみると、いい意味で想像通り。豪華さとは違う、どこかで食べたことがあるような安心感のある美味しさは、確かに人に勧めたくなります!
駄菓子ハンター土橋真さん「『どらチョコ』は1袋(2個入)30円とは思えない完成度にやられましたね。『うまい棒』などで知られるやおきん社がメーカーに委託して作っているんですけど、長野の有名な和菓子屋が作っていたんです。もう、駄菓子のレベルを超えたと思いましたよ。」
これは、駄菓子界きっての隠れた名作。親からお小遣いをもらったら迷わず買い物かごに入れていた、というファンの人も多いのでは?
どら焼きの生地に挟まれたあんは、食感はあんこなのに味はチョコレート。「どらチョコ」以外では感じたことのない味は、虜にならざるをえませんでした。改めて大人になって食べてみると、懐かしさはもちろん緑茶やコーヒーといった大人の飲み物にも合うことに気が付きます。
駄菓子屋はもちろん、コンビニやスーパーのお菓子コーナーでも売られている「チョコバット」は定番中の定番。今でも、“久しぶりに食べたいな~”とついで買いする人も多いと思います。
パン生地にチョコレートがコーティングされたあの味と食感は、どの世代が食べても、そうこれこれ!となってしまう。あの頃の放課後を思い出します。
駄菓子ハンター土橋真さん「『チョコバット』って今から約60年前の1964年に販売を開始したんです。実は種類もめちゃくちゃあって。『チョコバット』と『チョコバットエース』で当たりの景品が違かったり。掘ろうと思ったらきりがなくなってしまう駄菓子ですね」
!!!
「チョコバット」と「チョコバットエース」で別シリーズがあることすら知りませんでした!
調べてみると、レギュラーだけで4シリーズもあります。さらに、期間によっては限定商品もあるようです。チョコバットの公式HPで“歴代の名チョコバッター”を見れば、それぞれの時代を歩んできた変遷が見られます。親子や友人と自分が良く食べていたころの「チョコバット」パッケージはどれだったのか確認してみても面白い。
大人になっても“あたり”はチェックしてしまうのは、知らない間についたクセですね♡
元祖麦チョコといえば、兵庫県にある老舗駄菓子工場タカオカチョコレートの「むぎチョコ」と「いちごむぎ」。開けたパッケージ口を細くして、軽く揺らすとコロコロと片手に落ちる「むぎチョコ」。それをホイッと口に運ぶ。無意識に同じ動作を繰り返して、気が付いたら袋は空っぽ。そんなお茶の間に溶け込んでしまう味と存在感はどの歳になっても美味しく感じますよね。実は、偶然から始まった奇跡の駄菓子だそう。
駄菓子ハンター土橋真さん「昔は冷房がないので、夏場のチョコレートは溶けてしまってダメだったんです。それで悩んでいたチョコレートを製造する高岡食品工業に一人の友人から“チョコとポン菓子”で何かできないか“って声がかかったそうですよ。あとはもう試行錯誤で、2年という時間を費やして生まれたのが、今やだれもが知る「むぎチョコ」ですよ。」
この試行錯誤の精神は健在で、現在ではレモン味など、さまざまなフレーバーを開発しているそう。1972年から販売を開始した「むぎチョコ」は既に50年以上愛されるロングセラー。今年2022年7月1日には「麦チョコの日」を制定するそうです!
コロコロとした小さなひと粒がどれだけ沢山の人の手のひらをコロコロしたんだろうと考えると、一層愛らしく思えてきます。
食べるのが目的かと聞かれたら、それだけじゃない魅力をもつのも駄菓子です。
「サッカーボールチョコ」と「ゴールドチョコ」はそんな駄菓子の代表ではなかったでしょうか?
「サッカーボールチョコ」とヒーローのおもちゃでサッカーゲームをして遊んだり、友達と「ゴールドチョコ」をお小遣い分全部買って金のピラミッドを作ったり。または、「ゴールドチョコ」の“あたり”の差額で競った人もいるのでは?
“はずれ”なし。しかも現金と同じ価値のある“あたり”が付いた「ゴールドチョコ」は、子供にとってちょっとした夢がありました。100円が当たったときには、一獲千金を果たしたような気分に。
駄菓子ハンター土橋真さん「駄菓子屋では、“あたり”が出ると、その菓子代で別のお菓子を買わせてくれるんですよ。すべての駄菓子屋がそうかと聞かれれば、違うのかもしれない。ただそこには問屋と、駄菓子屋と、子供の間でちゃんとした信頼関係があったという証明。互いへのリスペクトを感じます」
遊びが終われば、最後にみんなで美味しく食べて終了。駄菓子と駄菓子屋のよさはそういった子供心にとことん付き合ってくれるところです。
現在、キャッシュレスや、コスト、作り手と売り手の高齢化などを理由に減り続けている駄菓子屋と駄菓子。そんな現状を打破するために駄菓子ハンター土橋真さんは“駄菓子を日本の文化遺産にする”活動をしています。
「駄菓子屋のおばちゃんや、問屋さん・メーカーさんのやっていることって本当に凄いことだと思うんです。まず、この時代に長く続けること自体が難しい。彼らが、こどもたちのためにやってきたことは、古臭くも見えるのかもしれない。でも、本当の意味でビジネスを除外した“心からの思いやり”があったからこそだと思うんです。そのことを、彼らに直接伝え続けたいですね」
小さいときの記憶に寄り添う駄菓子の数々は、まさに日本人にとって根強いカルチャーのひとつ。
買い物中、子供に連れられて立ち寄ったお菓子売り場や、懐かしさで足を運んだ昔ながらの駄菓子屋で、“まだあったんだ。懐かしいな”と手に取る瞬間は、とても身近な哀愁です。
例えば、きょうだいや、友達とパキパキと割って食べた「いちごつみ」。中に入ったシールが宝物だった時がありました。
一緒に食べる相手は変わっていっても、あの時と変わらない笑顔と味をもたらしてくれる駄菓子が、日本文化遺産に登録される日は近いかもしれません!
駄菓子ハンター 土橋さん
Twitter:@dagashiyaro
【プロフィール】
2018.5月『マツコの知らない世界』出演
2021.7月『日本経済新聞 文化欄』掲載駄菓子屋のもつ魅力・役割を見つめ続けて10年。
『駄菓子屋ハンター』の異名を賜うまでになりました。『駄菓子屋文化を日本遺産』にすべく、多岐に向け展開中!!
園果わたげ
ウフ。編集スタッフ
ufu.の新米編集者。メンズカルチャー誌でアシスタントを経験後ufu.に転身。 特技は甘いものを食べ続けること。最近は美術館内レストランの限定コラボスイーツにハマっている。
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