まるで七色に輝く小さな宝石のように、ショーケース一面に並べられたチョコレート。
みなさんは自由が丘駅から少し歩いたところに「LE PETIT BONHEUR(ル・プティ・ボヌール)」というショコラトリーがあることをご存じですか?
ここは、日本ではまだ多くない女性ショコラティエ廣嶋シェフのお店です。
廣嶋シェフは、C.C.C※を受賞し、注目を集めるフランスのショコラトリー「Monsieur Chocolat(ムッシュゥ・ショコラ)」で修業。大阪の「万博迎賓館」にて、立ち上げからシェフ・パティシエを務めるなど、輝かしい経歴の持ち主です。
今回はそんな廣嶋シェフがなぜ、こんなにも美しく豊富な種類のボンボンショコラを作り続けるのか。そして、日本ではまだ数少ない女性ショコラティエとして、どのように道を切り開いてきたのかを取材しました。
※C.C.C(クラブ・デ・クロクール・ドゥ・ショコラ):本場フランスのチョコレートの祭典『サロンデュショコラ』にて行われる、並々ならぬチョコレート愛好家たちによる格付け
廣嶋シェフが初めてパティシエとして働き始めたのは、フランスの中でも、山岳とロワール川に囲まれた地域ブロワ。その後、フランス各地を巡りさまざまなフランス菓子に触れ、フランス独自の歴史と文化を肌で体感しました。そんな中に人生で初めてチョコレートを意識した町の風景があったそう。
廣嶋シェフ「フランスの、特にイースターの時期には、どこのお店でも繊細でカラフルなチョコレートが並び、初めてその光景を見た時は美しさに見惚れるほどでした。パティシエールではなく、ショコラティエになろうと決めたのもこの感動があったからこそ。パリに移動してからもその気持ちは変わりませんでした」
大きなショーケースに並ぶ味も形も異なる美しいボンボンショコラの数々
「LE PETIT BONHEUR(ル・プティ・ボヌール)」におけるボンボンショコラの種類の多さと、繊細で美しいショコラは、この時の忘れられない記憶からインスピレーションを受けてのこと。そして「LE PETIT BONHEUR(ル・プティ・ボヌール)」もまた、イースターの時期には更に、華やかなチョコレートの数々で埋め尽くされます。
ブロワでの修業期間が終わり、次にショコラティエとしての技術を学ぶため選んだのはパリ15区にある「Monsieur Chocolat(ムッシュゥ・ショコラ)」。伝統的な職人技から、味の組み合わせによるニューウェーブまで、その全てを吸収するために必死で食らいついたそうです。
廣嶋シェフ「初めてチョコレートに本気で触れたときのことは、一生忘れないでしょう。凄く難しくて、でも面白かった。当時は体感でチョコレートの状態を定めるテンパリングすらまともにできなくて。でも、全てがバシッとハマったときの艶や美しさは凄くて。チョコレートの奥深さに魅了されました」
その道に進むことを学生時代で決意する人が多い職人という道。しかし、廣嶋シェフがちゃんとパティシエになろうと思ったのは就職後3年目となる25歳のときでした。
廣嶋シェフ「“夢を追うのに時間や年齢は関係ない”と思うんです。これだと思ったら、飛び込んで一生懸命やってみる。すると自ずと道は続くもの。今の私があるのも、そうした経験からです」
では、廣嶋シェフが菓子職人という生き方を選んだきっかけは何だったのでしょうか?
大学時代は栄養学を中心に勉強していた廣嶋シェフ。卒業後は飲食企業へ就職、企画開発へと配属されました。
しかし、仕事を続けてゆくうちに、自分が本当に好きなこと、やりたいことが見えてきたという廣嶋シェフ。菓子職人という道に進むべきか悩んでいた時、最後の一押しをしてくれたのは、“学生時代からの友人の一言”でした。
廣嶋シェフ「私の友達が “そんなにやりたいならやればいいじゃん”って言ってくれたんです。
道って、何歳でも、いまからでも、変えられるんだと強く思った瞬間でした」
結婚、出産、年齢… “女性だから”という理由で、知らず知らずのうちに作られる、自分自身の“限界”という名の、透明な壁。廣嶋シェフにとって、“お菓子の道を選ぶ”ということは、そんな透明な壁を自ら壊しに行こうという決意の表れだったのかもしれません。
廣嶋シェフ「前述したフランス修業を終え、日本へ戻ってきたのは私が28歳のとき。正直、帰国後も女性だからという壁は沢山。その中でもどうにか自分なりの道を切り開こうと模索しました」
帰国時は、フランス帰りではあるが日本での実践がない。さらに、“雇っても結婚や出産でどうせ直ぐにやめてしまう”そんな世間の風潮をひしひしと感じたという廣嶋シェフ。それでも諦めることなく、フランス料理・菓子の専門学校「Le Cordon bleu (ル・コルドン・ブルー)」でアシスタントとして就任。
その後、大阪の「万博迎賓館」にて、シェフ・パティシエに。立ち上げから3年間ウエディングの仕事に携わりました。廣嶋シェフが作るチョコレートの多くが2層構造なのも、この時の経験からなんだとか。
廣嶋シェフ「コース料理のデザートでは、色々な素材の味や食感をどう1皿に落とし込むかを一生懸命考えていました。型抜きのショコラを作るときもまた、1粒でどう表現するか。ここでしか味わえないサプライズを考えるのにいつも必死です。笑」
その瞬間に集中し、熟考とアイディアで新たなクリエーションを生み出す廣嶋シェフ。そうした彼女のスタンスが、いつまでも生き生きとした表情のチョコレートを生み出し、訪れた人をハッピーにしているようです。
現在では店舗だけでなくECも活用し、大阪、東京を中心に人気を集めている「LE PETIT BONHEUR(ル・プティ・ボヌール)」。しかし、自分のお店を持つというのは会社で働く以上に大変なのでは?
そんな疑問に、むしろ融通の利く自分のお店だからこそ、こうしてショコラティエを続けられていると廣嶋シェフは語ります。
廣嶋シェフ「いろいろな環境で働く女性パティシエって本当に沢山いると思います。自分が経験してつくづく思ったことですが、やっぱり将来が見えないんですよね。結婚したら、子供を産んだら、これまでと同じ働き方で続けていくことは難しいなぁって思う職業。
自分のライフスタイルにぴったりとハマる“落としどころ”を見つけて欲しいです。私にとってそれがショコラであり、自分のお店を持つことでした。」
職人としてヘトヘトになりながら働く時期も凄く大切。でもそれ以上に、10年後の自分がどんな人生を過ごすかを軸に、仕事と向き合うことが大切だと、廣嶋シェフ。こうした廣嶋シェフの姿は現在、お菓子業界を目指す女性たちにとって、貴重なロールモデルとなっています。
フランス語で“小さな幸せ”という意味を持つ「LE PETIT BONHEUR(ル・プティ・ボヌール)」。お客さんの“ほっとした一息”になればと作られた繊細なチョコレートは、私たちにとってもまた、身近な宝石のように大切にしたい気持ちが詰まったチョコレートです。
是非皆さんも、素敵なチョコレートを食べにいってはいかがでしょうか。
About Shop
LE PETIT BONHEUR(ル・プティ・ボヌール)
東京都世田谷区奥沢6丁目28−6-102
営業時間:11:00~17:00
定休日:月曜、日曜 ※不定休あり(インスタグラムで更新中)
園果わたげ
ウフ。編集スタッフ
ufu.の新米編集者。メンズカルチャー誌でアシスタントを経験後ufu.に転身。 特技は甘いものを食べ続けること。最近は美術館内レストランの限定コラボスイーツにハマっている。
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